こんにちは! まるんてです!
僕は2018年5月に「急性リンパ性白血病」と診断されました。
そこから2年間の治療を経験しています。(2020年6月、治療終了)
僕の入院は1ヶ月以上の入院が5回続き、その後は毎月1週間の入院生活を約1年半続きました。
僕は白血病になる前は、特に不自由なくただなんとなく生きていました。
不自由は無いけれどこれと言ってやりたいことがある訳でもない。
周りの友達はみんな大学に行くから僕もなんとなく大学を選んで、卒業したらどこかで仕事をしている予定でした。
しかし長い入院生活を経験をしてからこの予定は崩れてしまいました。
でもそれまでずっと「なんとなく」や「周りに合わせて」だった僕は変われたと思っています。
そう思う理由の1つに、「普通」という言葉があまり好きではなくなった。という事があります。
白血病になってから色々な経験をして、僕は物事の見方が結構変わりました。
今回は、僕の視野が広がった事で「普通」について思った事を書いてみようと思います。
僕には特に「普通」を疑うきっかけが2回あった
僕は白血病になって、そして急性膵炎という病気にもなってしまい「死ぬかもしれない経験」をしました。

こんな経験をすると、今までの何気ない事全てに対して、より感謝したり感動したりするようになりました。
例えば、入院中は誰かと話せる事が嬉しくてそれだけで感謝を言えたり、治療中は食事制限が厳しかったのでそれを乗り越えて好きな物が食べれた時は泣くほど美味しく感じたりしました。
すると僕は物事に対する見方がとても変わりました!
その中でも僕が「普通ってなんだ?」と思った出来事を紹介しようと思います。
「周りと比べると遅れている」という考え
僕は白血病治療の入院が2年も続きました。
なので大学は退学することになってしまいました。
本来なら僕は今大学4年生で、来年から仕事をしているはずでした。
同い年の友達は来年から仕事をしているのに、僕は今ニートで来年からの予定すら決まっていない。
今の僕がこんな状況だと、親などの周りからは「お前は遅れを取ってる」とか「早く稼げるようになれ」と言われます。
確かに言っている事はそうだと思うし、僕も分かっているつもりです。
それに僕だってこんな病気にならずに来年から働きたかったですよ。
でももうそれはできない。ならもうできない事をいつまでもウジウジ言っていても意味ないと思うのです。
僕は白血病になっていなかったら、おそらく「普通」に来年から働いていた。
でもその普通は、今の僕にとっては普通ではなくなってしまいました。
こんな経験をしてから、「普通は結構すぐ変わっちゃうんだな」という事と「普通は人それぞれ違うんだな」という事を理解しました。

塾バイトをしていると色々な生徒がいる
僕は今、塾講師のアルバイトをしています。
塾バイトをしていると、「僕の思っている当たり前は意外と当てはまらない」という事をよく体験できます。
自分で言うのは変ですが、小中学校までの僕は成績がよく、勉強はあまりつまずく事がありませんでした。
なので小学2年生でかけ算をマスターするのは当たり前でした。
でも塾に来る生徒にはこのかけ算ができない子もいます。
僕はずっとかけ算九九は教えると言うよりは覚える物だと思っていて、九九が出来ないなら厳しいと言う考えで、少し僕は諦めの気持ちがありました。
でもそれは僕が苦労しないで出来たからその苦労が分からないのであって、「その子にとっては辛い物なんだな」と考えられるようになりました。
そしてそう考えられるようになった事で、僕はもっと寄り添ってあげて、一緒に絵を描いてみたりして優しく教えてあげる事が出来るようになったと思います。
この経験から「自分の当たり前を他人に押し付けるな」という事を学ぶ事ができました。

まとめ
僕が「普通」について考える事は
- 普通は意外とすぐに変わる
- 普通は人によって違う
- 自分の普通を他人に押し付けるな
という事です。
僕はこれらのことに今のうちに気が付けて良かったと思っています!
これからも「当たり前」に感じる事でも、1度立ち止まって、相手の気持ちになって考えるようにしていきます!
それではまた! ばいにゃら!
コメント